笑う門には福来る
2015年、36歳で福岡県議会議員に初当選を果たし、今年で3期目を迎える大田京子さん。
福岡県民の代表として日々私たちの暮らしをより良くする活動に励んでいます。
そんな彼女は大手ファストファッションブランド勤務、鍼灸師、福岡県議会議員という興味深い経歴の持ち主でした。なぜ彼女は県議会議員になったのでしょうか?これまでの働き方と生き方、そして今後についてインタビューしました。
当時の働き方は、朝から晩まで、サービス残業も当たり前。半年で店長を目指す社風ということもあり、実務から管理職のノウハウまでを叩き込まれました。こんなに厳しいのかと思いながらも店長になれるワクワク感もありました。
でも、過重労働や厳しい新人教育の部分がスタッフを苦しめて、うつ病を発症する人が多かったんです。
私も振り返ったときにフロア店長として売り上げ利益を追求するばかりで、スタッフやお客様の心を見過ごしてきたことに気付いたんです。
部下にも厳しいことを言わないといけないと思っていて、ストレスを与える側になっていたかもという反省も含めて、今後は心のケアをしなければという使命感が生まれました。
ちょうどその頃社内に、従業員と顧客の満足度を高める部署ができ、その第一号に手を挙げて担当になりました。しかし一年後に部署が閉鎖され、それならば外部で心のケアをする治療家になろうと決め退職しました。
治療にくる患者さんの中には、社会や地域がもっとフォローしなければ救えない方もいました。
院長として私が担当した患者さんは、死と向き合う方が多かったんですよね。
私以外の専門家にも相談しましたが、心のケアを充分にしてあげることができなかったんです。
それを繰り返すうちに私が生きている内にお手伝いできる方って限られているなと感じて。
社会背景や環境を変えることで、救える方がもっと増えるのであれば、治療家としての気持ちを持って政治家になろうと決断しました。
不安は何をするにしても私はないです。自分で決めているので。
全部紐付いて自分の人生って未来から引っ張ってもらっていると思えば、すごく自然な流れで腑に落ちていたので、県議会に行っても全然怖いとか不安とか何もなくて今に至るまですごく楽しくさせていただいています。
ただ、当時、離婚をきっかけに下の子は、5年間不登校でした。上の子は大きいからそちらは自立していくわけです。下の子は気がかりなことが山盛りにあるんですよね。今はゲーマーになると言い出して。不登校の時代にゲームし放題だったので、ゲーマーとしてはプロ級なわけです。いま私はそれを応援すると言って環境を整えてはいます。
議会と議会前準備を繰り返しています。準備は、基本的にはいろいろな場所へ視察に行って、福岡県にどう生かせるのか文章化して、それを議会で伝えていきます。
6月の議会では、赤ちゃんをお腹の中や死産で亡くした方の心のケアを取り上げました。赤ちゃんを亡くした方向けの支援というのがほとんどなかったので、例えばホームページに載せることや、民間団体と連携してほしいと提案して、議会ではそういうやりとりをしています。
一人では何もできずに孤独感や無力感を感じていたら、遠慮せず声をあげてほしいです。こちらから課題を探しには行きますが限界があるので、言っていただけると気付けます。私たちのヒントになるので、宿題を出してほしいと思います。
私は仕事を仕事と思わないほうがいいと思っていて、どう位置づけるかって人によって違うと思うんです。その位置づけを明確にすることから始めたらいいんじゃないかって思っているんです。
もし相談があれば、生きるためだけ・稼ぐことだけを目的にする人はプライベートを充実させられる仕事を選べばいいと思います。でも私は仕事が生きがいなので、同じ思いの人は、仕事をきちんと選んで嫌いな事は避けてほしいと思います。
何をしていいかわからない場合は、どんな目的で仕事をするか、その考え方の位置づけを明確にすることで、少しスッキリするのではないかなと思います。
人生の方向性を見失いそうな人でも楽しく生きられる社会や、家族ではなくても地域が子どもを育てる環境を作りたいと思っています。
人生には家族だけではなく助けてくれる第三の存在も必要です。私も思春期で多感な時期に、その第三の居場所で恩師に助けられたので、恩送りをしないといけないと思っています。私は出会った人全員が幸せになればいいと本気で思っていて、知り合いだから困った時はお互い助け合いましょうねっていうマインドです。
割りばしを加えて口角をあげたら脳が騙されてご機嫌なホルモンがでるという番組をみて、落ち込んだ時にそれを実践しました。そしたら少し元気になったので、それから笑おうと思ったんです。
3児の母でもある大田京子さんは、家庭ではお子さんたちに『自分で考えて決めてね。迷った時は相談してね』と言っているそうです。
彼女の働き方・生き方は、まさしく自分で決め、即断即決の人生だと知りました。しかし彼女のように即決できずとも、何かに迷い苦しんだら、誰かがあなたを助けてくれる、そんな優しい助け合いが日本中に溢れてほしいと思っています。割りばしを加えて口角をあげなくても、自然と笑顔になる社会を目指して私も取材を続けていきたいと思いました。