信念と情熱
どちらかというと夢はあまりなかったです。
小さい頃は警察官や宇宙飛行士になりたいと思っていました。高校の時に文系より理系の方が好きだったため、理系関係の仕事に就こうかなと思っていました。ただ、周りから教員が向いていると助言があり、教育大学に進学しました。
教育関係の営業職や、短大の非正規職員などを経て、専門学校の正規職員として10年ほど勤務しました。
皆さん一番苦労される時じゃないかと思いますが、第一子の時に、保育園に入れなかったんです。
そして、会社に戻った時にも、部署異動や収入面での待遇について男女の格差を感じました。子どもが熱を出して休む時も、会社を休んで申し訳ない気持ちはどちらも一緒なのに、男性は休みづらく、女性の方が休みやすいと思われ、40日あった有給もマイナスになりました。
先程の産後女性の苦悩についても、私一人の問題じゃなくて、周りの女性に聞くと、みんなそうだって気づいた時に政治家になりたいと思いました。
私だけでなく、みんなもそう思っているならこれは大きな社会課題なのに、誰もそれを課題として解決しようとしないのはおかしいと。
待機児童になったのもそうですが、政治が男性や高齢者、世襲のものなのかと疑問に思いました。
また学校に勤めていたので、就職試験、奨学金の事務を行う中で、確実に教育格差があって、教育がおかしいと思うところもあり、そこを変えなきゃ日本が終わるんじゃないかと思いました。
なんとかしないといけないという熱い想いが湧いてきました。
それを使命感というかはわからないですが、変えたいと思いました。
29歳の時に第一子を生んで、30歳くらいに政治の世界を目指し始めました。
当時は、周りにも政治家がおらず、どうやったら政治家になれるかわからない中で、まず政治塾に行きました。その政治塾も7~8つほど行きました。ただ、目指したいと言いつつも仕事と子育ての両立で頑張れる時もあれば、もう無理かもと思う時もありました。何回か知り合いの選挙に応援に行き、選挙に出ないかという話もいただきました。しかし、結局、気持ちに波があって勇気も出ず、出馬できずに気づいたら39歳を迎えていました。
でも、仕事・出産・育児を通して社会を変えたいと思い、小さい子どもがいる今のうちじゃないと、自分が思っている社会課題を提案できる政治家にはなれないし、なる意味がないと思いました。その時に最後のチャンスと思って立候補したんです。
私は子育て世代や女性の皆さんの代弁者だと思っています。
政治の世界にそういう人たちがたくさん入ってくれることや、女性を受け入れる体制が整った議会になっていくことを今は一番に考えています。
例をあげると、私が県議会に初当選した際に、友人が赤ちゃん連れで議会を傍聴してくれることになりました。それが県議会で初の赤ちゃん連れ傍聴でした。今まで赤ちゃん連れで傍聴される事がなく、会派や他党派の方々にも事前周知しました。実際、友人が来た時に、いろんな人から声をかけられたらしく、嬉しかったと教えてくれました。
ただ、会議中でも赤ちゃんは泣くんですよね。赤ちゃんは意外と泣くんだということを男性議員も認知して、それをきっかけに私たちの会派から親子傍聴室を作ってほしいと要望書を出しました。女性トイレを増やすことも提案しました。すると、徐々に進み始めて次の12月には親子傍聴室もできますし、ベビーカー対応の通路ができるようにもなりました。そういった政策以外のところでも、変えていけるという実感があります。
また、議員になる事へのハードルがいくつかあり、女性はなりにくい・子どもがいたらなりにくいなど、そのハードルをさげる活動が大事だと思っています。立候補したいという人が、ハードルに負けずに立候補できるように。
会社員の時は、働いているという感じでした。
今は、そういう感覚はなくて、やりがいがあるからそう思うかもしれないのですが。私がやったり言ったりしたことが皆さんの生活に直結していくからこそ、自分が頑張れば世の中がよくなっていくという想いがあるので、あまり働いているという感じはないですね。
今はもちろん子どもが3人いるので生活費も必要ですが、それ以外に自分が社会に貢献できている手段のひとつという感じです。
私は、基本的にはどうにかなると思うタイプです。
嫌なことは忘れる努力をしています。
例えば、議員になってからバッシングされた時期もありました。その時は落ち込みました。バッシングしてきた方は、私の社会を変えたいという想いを知らないので、それを証明するためにちゃんとやろうと思いました。負けず嫌いの部分と寝たら忘れるようにして乗り切っています。
歴史もお好きだそうで、座右の銘は「吾唯足知」(われ、ただ足るを知る)との事。これは、世の中に不平不満ばかり言っても人生が貧しくなるだけで、自分の足りないところを知って、それを前向きに変えていこうとすることが人生を豊かにするという言葉だと知り、素敵だと思ったそうです。彼女が歩んだ道のりも前向きなものでした。政治家を目指して10年、そしてこれからも社会を変えたいという熱い想いを持ちながら働く彼女。福岡県議会も子育て世代や女性が入りやすい環境に少しずつ変わっています。人生を豊かにし、幸せのための変化を恐れず、私も一歩一歩前進していこうと思いました。