人とつながり、楽しいことが好き
今回ご紹介する女性は、なんと23社もの企業から不採用を告げられた過去をもつ児玉のりこさん。10代から数々の職を経験することでキャリアを積み重ねてきた。現在は女性起業家向けのITサポートや専門学校の講師、ラジオのパーソナリティーとして活躍している。そんな彼女の経歴とご縁でつながる働き方を伺った。
就職氷河期世代の先頭をいく児玉さんが最初の職に就いたのは、食品卸メーカーの営業事務だった。接客に楽しみは感じつつも、事務業務のルーチンワークや数字管理が得意ではないと気づき、1年ほどで退職をする。
その後、知人が経営するイベント制作会社にAD(アシスタントディレクター)として転職を果たす。もともと、学生時代にイベント業のバイトをしていたことで、この仕事は楽しいかもと感じていた児玉さん。
「CM作ったりもする会社で多岐にわたっていて、当時はまだ女の子のADなんてそんなにおらず、男社会でした。2日間寝ないのも普通でしたし、長机を2台持って、ガムテープを腰にさげて。みなさんが思うADというイメージ通りの働き方でしたね。
その中で、すごいなと思ったことがあって。映像制作でテレビ番組などにナレーションをいれる仕事があるんですが、私は編集室で作業をしていました。声を専門に扱う人が来て、この映像の時にこのセリフを言ってくださいと指示するんです。映像よりセリフの方が1秒長くなっても、次のテイクでは、ぴったりに収めてくるんです。その職人技を見て、声の仕事もいいなと思いました」
ラジオのレポーターとしてオーディションにも受かった。しかし、当時の某FM局人気番組パーソナリティー最終オーディションまで進むも、挫折を味わう。声の仕事は需要に関して供給が少なく、激戦だったこともあり、なかなか思うような仕事ができず疲弊していた時に、ご縁があった知人から仕事の依頼をされる。
「以前から携帯とか機器とか好きだったので、独学していて。当時、携帯電話を普及させる販売促進の仕事があるけど、児玉さんは知識もあるし、やってみない?と言われて。携帯電話を使ったネット接続サービスを普及させるために立ち上がった事務局で、スタッフさんに知識をレクチャーしていました。
その後、広告代理店の仕事もご縁があってすることになり、福岡アジア美術館でやっていた『おいでよ絵本ミュージアム』のイベントにも携わっていました」
結婚を機に離職した児玉さんはその後、出産。子どもが1歳になるタイミングで、正社員として求職したものの、冒頭で伝えたとおり、採用はどこも厳しかった。
「人格否定されたようで当時は暗黒時代でした。在宅ワークも今ほどなくて、子育ても、女性が働くということに対しても社会は優しくなかったですね。あんなに履歴書を書いたのは人生で初めてでしたし、もう心が折れてしまって。
当時は、生活の安定と子どもを認可保育園に預けたい一心で正社員として就職したかったんですが、不採用が続き、結局いったんは子どもを無認可保育園に預け、コールセンターの派遣社員として働くことにしました。
今思えば、個人事業主扱いで届出していれば、そんなに焦ることはなかったと思いますね。知恵がないと怖いなと。選択肢がないと思い込んでいたんです」
「知人から、専門学校で講師を探しているのだけど、やってみませんか?と話をいただいて。これが、パラレルワーク(複数の仕事を並行して行う働き方)の始まりですね。
講師として最初の授業はイベント企画の授業でした。プレゼン資料の作り方と、どうやってプレゼンするのか、そのツール(手段)を生徒に教えて、喋れるまでがゴールといった授業内容です」
順調にパートと講師業を掛け持ちしていた児玉さんだが、新型コロナウイルス感染症が流行し、講師業も多忙になりつつあったため、パートは退職。現在は複数の専門学校で授業を行いつつ、女性起業家向けにITサポートと、ラジオパーソナリティーなど複数の仕事を並行しながら働いている。
「それは常々思っているんですが、現代人、特に若い世代の方々は、答えをすぐに求めすぎなのかなと。これは時代だから仕方がない部分はありますが、私たちの世代は、辞書で調べて、面倒くさかったです。
今はパソコンやスマホですぐ検索できて便利な反面、面倒くさいことにこそ、気付きがあったり、大切なことが隠れていたりもするのかなと思っていて。面倒くさいことをあえてやるっていうのを楽しみに捉えてやれたら、若い世代の方々も、もっと違った気づきになるんじゃないかなと思います」
「やっぱり、働くことが楽しいというのは根底にあると思います。何かをやった時に誰かが笑顔になるとか、楽しかったって言ってもらえるのが何よりの喜びだったから続けてこられたのかなと思って。人が好きで、自分が知っている知識で誰かの役に立てれば、なおよしで、人生の折り返し地点に来たのでその思いが強くはなりました。
今後は、ITやスマホを使いこなせていない人、特に高齢者に使い方のレクチャーができればいいかなと思っています。あとは、今、地域とママを繋ぐママ夢ラジオのパーソナリティーをやっていて、福岡のママと企業を繋げる活動を形にしていきたいかなって思いますね」
今でこそ、働き方改革で女性活躍、パラレルワークやパラレルキャリアを推進するような動きがあるものの、新卒一括採用、終身雇用、年功序列といった制度は根強く、男性管理職の割合も高い。女性が働きやすい環境や働き方が柔軟になったとは、まだまだいえない。
今回取材した児玉さんは、まさにパラレルワークの先駆けであり、キャリアを積み重ねた結果が今の働き方に繋がっている。キャリアの中には、報酬にならない活動も含まれているが、本人にとっては価値ある働き方だ。そして人とのご縁。このご縁は、チャンスや転機のひとつになる。
取材を通して思ったことは、社会制度や企業の雇用体制に自分の人生を委ねる時代から、今後は自分に価値あるキャリアを積み重ねていく時代になっていくということ。働き方は生き方である。あなたにとって価値あるキャリアとはなんだろう?本記事がそれに気づくきっかけになれば嬉しい。
不採用の話は、遡ること15年ほど前、児玉さんが30代後半で再就職に臨んだ時のことだったが、まずは児玉さんの経歴について順を追って紹介していこう。