インタビューNo.37

みんなの働き方

Where there is a will, there is a way

~意志あるところに道は開ける~


“福岡育ちの台湾人”として活動中のホンファさん。現在、IT企業の会社員として働く一方で、台湾華語(台湾で話される中国語のこと。以下、中国語と記載)のコーチ&講師としても働くパラレルキャリアの持ち主だ。彼女のキャリアの原点には、ダブルネイティブ(中国語・日本語)がゆえにアイデンティティに対する葛藤と、それを乗り越えて見つけた“自分らしい働き方”があった。

 

 

なぜ“福岡育ちの台湾人”なのか?

「台湾人の両親のもと、家では中国語、外では日本語という環境で育ちました。

来日当初、日本語が話せず苦労した母は将来、子ども達が言語で困らないよう、家庭では中国語だけで話すように徹底しました。おかげで中国語と日本語両方の言語を自然に習得することができました。

自分にとってはバイリンガルが当たり前なのに、周りからはすごいねと言われ、当時はとても違和感を覚えましたが、それが“簡単なことではない”と気づいたのは大人になってからでした」

 

世界を受け入れる立命館アジア太平洋大学(APU)で得た価値観とは?

「小学生の時に、日本人と違う名前でからかわれたり、どれだけ中国語を上手に話せても、日本に住んでいるからという理由で、台湾に住む親族からは日本人扱いされることもあって悲しかったし、自分のアイデンティティについて悩みました。日本で育っているからこそ、台湾人としてのアイデンティってすごく強いと感じます」

 

―――ホンファさんは中学生の時に英語を習得し、バイリンガル(2カ国語を話す人)から、トリリンガル(3カ国語を話す人)へ。語学力キープのため、大学は大分県にある国際色豊かなAPUへ進学。そこで多様性を受け入れる雰囲気に救われたという。

「世界中から留学生や私みたいにバックグラウンドがちょっと違う、在日コリアンとか、カナダで育った日系人とか、スリランカと日本のハーフとか、普通に暮らしていたら出会わないような方達がいて、みんな受け入れるという環境がすごく良くて。

排他的なことがほとんどないんです。こうだからダメとか、あれがダメっていうのはなくて、いろんな人種がいて、いろんな価値観があってみんないいみたいな。

私がここで中国語を話しても、違う言語を話しているから、と誰かが振り返ることは少ないんです。すごく大好きな大学になりました」

多様性を受け入れるイメージ図

 

初めての社会人経験と、日本的企業文化の壁

―――ホンファさんは、自身の強みである言語能力を生かし、大学卒業後は日系メーカーに就職する。しかし配属された海外営業部の仕事内容に疑問を感じる。男尊女卑、前例踏襲、出張も制限される現実。“自分より語学が得意でない男性が海外出張に行く”ことが大きな転機となり、組合に直訴したことで、仕事の幅が広がるチャンスを勝ち取った。

「入社して4年目でやっと海外出張に行けるようになりました。出張の回数も増え、通訳もできて仕事がすごく楽しくて、これでお金をもらえるなんて最高って思ったけど、なかなか企業風土は変わらなくて」

 

やりたいことと現実のはざまで悩み、中国語講師への想いがふくらむ

「20代後半で、もっと先の事を考えるようになって中国語の先生になりたいなと思いました。

でも仕事も続けたかったので、勉強するために1ヶ月休みをくださいって会社に言ったけど、許可が下りなかったんです。

泣きながら必死に訴えたら、当時の上司が一緒に泣いてくれたんです。『君が言う通りだね。若いうちに色々挑戦した方がいいよ。でも力になってあげられなくてごめん』と言われて、上司には非常に感謝しています。結局、退職を決断しました」

上司と部下の良き関係性のイメージ図

 

 

“複業OK”な会社との出会い、そして結婚・出産を経験

―――現在のIT企業へ転職したホンファさん。企業風土はホワイトで人間関係も良好とのこと。パラレルキャリアも認められており、結婚・第一子出産を経験し、紆余曲折しながら複業として現在、中国語コーチ&講師としても活動している。

 

今、考える“伝わる言葉”と“自分のやりたいこと”

「今のIT企業へ転職した当初は、事務作業を行う部署で頑張っていたのですが、事務内容が合わなさすぎてミスを多発してしまって。

ほんとに迷惑をかけてしまい、それを見かねた上司から部署異動を提案されて、今はカスタマーサポートの部署にいます。ここが今までやったことのない分野ですごく勉強になっています。

何が勉強になるかというと、私は言語が得意と言っている割に、相手に“伝わる言葉”で話せてなかったと気づいたんです。例えば、前の私だったら、自分が言いたいことだけを言っていました。

今は、相手がどういう気持ちになるのか、相手が理解できるように、自分の言いたいことを伝える技術をここで訓練しました。その甲斐あって、今まで伝わっていると思っていたことが、ただ自分が言いたいように言っていただけだとわかったんです」

 

-――カスタマーサポート業務を通じて、相手に”伝わる言葉”を意識するようになったホンファさん。言葉は“話せる”以上に“伝わる”ことが重要だと学ぶ。現在は第二子育休中だが、パラレルキャリアを両立しながら、さらなる道を模索しているという。

カスタマーサポートのイメージ図

 

 

コーチと講師の違いとは?

「コーチと講師の違いは、簡単に言うと語学をレッスンで教えるのが講師で、なんで語学を習得したいのかというプロセスや目標を明確にして伴走するのがいくのがコーチの仕事です。

私のレッスンでは中国語を教えていますが、コーチングの要素も取り入れています。講師としてレッスンだけだと、受講する側が受け身になりがちだからです。

でも、仕事で必要だとか本当に会話力を伸ばしたい方だったら、コーチング要素を入れることで理解度も学習に対する姿勢も良くなるからです。

コーチングをすると、その方がなんでやりたいのかを深掘りしていくし、毎日連絡も取るし、本人の軌道修正も結構できていくので、信頼関係も深まり、達成感を得られるんです。そこにすごくやりがいを感じていて、講師とコーチをやっています

 

中国語コーチ&講師を続ける理由

「小さい頃は中国語の先生になりたいとは全然思ってなくて。バイリンガルのすごさは、成長するにつれてわかるようになりました。環境を整えてくれた両親に感謝しています。

社会人になってから、自分の言語能力が必要とされていることが嬉しくて。

私は今2人の子どもに中国語だけで話していて、“言語はプレゼント”だと思っています。私の母がしてくれたように。自分で意思疎通が取れたり、仕事に生かせたりというのは、後々すごく活きてきます。

1つでもそういう武器、“誰も介さず、人と直接コミュニケーションが取れる”というのができると、自信に繋がると思っています」

言語はプレゼント

 

 

これからの働き方について

「私の理想の働き方は、やっぱり大事なものを大事にしながら働くことと、自分のやりたいことで人に貢献できることだと思っています。自分がやりたいって思うことで、人にも喜ばれると最高だなって思います。

中国語のコーチや講師の仕事だけで働くことが当初の目標だったんですけど、今はどこかに属しながら、業務委託や会社員でも、並行しながら働くこともいいなと思っています。チームで働く時の刺激というのもすごくあるから、柔軟に働きたいですね

 

 

バイリンガル環境は“当たり前”だったけれど、大人になって初めてその価値を自覚したホンファさん。中国語を“教える”ことは、“想いをつなげる”ことでもある。働き方も、キャリアも、自分らしく選びながら進み続けてほしい。

「今、女性も当たり前に働く時代で、社会経験はすごく大事だと思っています。子どもたちには自立しながら、自分の好きなことをしてほしいなと思っています」そう話してくれたホンファさん。記事では書ききれなかった彼女の想いは、ぜひブログで確認してほしい。

 

 

 

この記事を書いた人
Kumi

私らしく働くってなんだろうを追求中!福岡で働く現代の女性たちを取材し発信していきます!

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