万象学に出合ってから、最近では少しずつ東洋思想についての書籍もかじりつつあります。万象学の基となった陰陽五行説や陰徳などの思想を紐解いていくと、中国古典も知っておいたほうが理解しやすいと感じたからです。中国古典は実に様々な書物や経典がありますが、なかでも儒教の基本経典である四書五経に関心をもちました。
四書=論語・大学・中庸・孟子
五経=易経・詩経・書経・礼記・春秋
私と同じように、中国古典を今から読んでみようかなという初心者の方は、「中国古典の名著50冊が1冊でざっと学べる(寺師貴憲著)」という書籍から読む事をおすすめします。この本のタイトルどおり、50冊の古典ひとつひとつポイントをおさえてまとめられていて、大変読みやすいうえ、この古典を読むならこの書籍がおすすめといったぐあいに推薦本まで記してあるので、入門書として実にビッタリな一冊です。
その書籍の中でも、中国古典のチャンピョンと記される「論語」について、今回は「論語力(干丹著)」という一冊を読んでみました。
ちなみに「論語」は孔子とその弟子の言語録であり、中心思想は「仁(人を愛する)」と「礼(礼儀作法)」。なぜ2,500年程前の書物が今もなお愛されているのか?「論語力」の中で著者はこう語っています。
「論語力」を読んで、私なりに印象に残ったことをまとめてみましたので、参考になれば幸いです。
孔子とは?
孔子(こうし)は、姓は孔(こう)、名は丘(きゅう)、字(通称)は仲尼(ちゅうじ)。子=先生なので、孔子というと、孔先生。孔子にはじまる学派を儒家、その学問を儒学・儒教と呼ぶそうです。
孔子は、中国の政治・文化の核となった人物で、東洋に彼ほどの影響力を持った人物はいないと書かれています。そんな孔子が晩年に残した有名な言葉があります。皆さんも一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
子曰く、吾十有五にして学に志す
子曰く、吾十有五にして学に志す。
(しいわく、われじゅうゆうごにしてがくにこころざす)
三十にして立つ。
(さんじゅうにしてたつ)
四十にして惑わず。
(しじゅうにしてまどわず)
五十にして天命を知る。
(ごじゅうにしててんめいをしる)
六十にして耳従う。
(ろくじゅうにしてみみしたがう)
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰こえず。
(しちじゅうにしてこころのほっするところにしたがって、のりをこえず)
孔子は言われた。
「私は15歳で学問の道に入る決心をし、30歳で自信を得た。40歳で道理に通じて物事に迷わなくなり、50歳にして天命の理を知った。60歳になると何を聞いてもその是非が判断でき、70歳になると思うままにふるまっても道をはずさなくなった」
孔子はもともと知識があったのではなく、昔の人びとが経験してきたことに興味をもち、こまめに知識を吸収していったそうです。15歳で学ぶ決心をした孔子ですが、「論語力」の中で著者は、今日の子どもたちへの教育法について触れています。
著者は、考え方を教えるかつての教育法から、情報の詰め込みや効率的でスピーディーに社会の求めに合った現代の教育法に疑問を投げかけています。「学んでも自分で考えなければ、ものごとはよくわからない。自分で考えるだけで人から学ばなければ、誤りには気づかないままである」と孔子が言っていたように、著者も人から教えてもらいながら自分でよく考え、そしてそれを実際に活用することが大切であると語っています。
私の息子は、今ちょうど夏休みで、昔でいうところの「夏の友」に毎日取り組んでいますが、わからないことがあるとすぐに「教えて」とか「スマホで調べていい?」と私に言ってきます。教科書やドリルを見返すという作業はせず、すぐに人に聞いたり、ネットに頼る調べ方に違和感を感じてしまいます。かくゆう私も、有名人の名前がでてこない場合や、忘れてしまった漢字など、すぐにネットで調べてしまいますが……(笑)
紙の時代で幼少期を過ごした私からみると、教科書や辞書を片手に手間ひまかけて調べた事柄の方が記憶に残っていて、自分でいろいろ調べてどうしてもわからない時に親や先生に聞く勉強法だったので、そっちの方が考える力が身につくのではと思ってしまいます。ただ時代の流れからすると、学び方も多様化し、一概にネットで調べるのはダメだとも言い切れません。
だからこそ、息子には読書をすすめています。これは私なりの解釈ですが、本にはいろんな人の英知がつまっていると思います。知識だけでなく、知恵、考え方、価値観なども読み取れ、本を読んだ後には自分なりの考えや感じた事もでてくるので、それが、孔子がいう自分で考えることにもつながるのではないかなと思っています。
30歳以降の生き方
孔子が教えてくれた30歳以降の生き方について、「論語力」にかかれていた内容をまとめてみました。
・30歳にして、自分の内面において落ちつくこと、いわば心が自立した状態を指す。学んだ知識を自分の人生に活用し役立てる。学びと活用の融合が30歳のキーポイントだといえる。
・人は足し算の人生を送るが、モノをたくさん持つほどに戸惑いが増す。40歳になると、引き算の人生に転じることが大切。身の回りのあれこれを思い切って捨てられるようになったら、「不惑=中庸」に近づいている。
・50歳にして、周囲から絶賛されても非難を浴びせられても、自己の真価と世間の評価の差異を冷静にわきまえている。軸のぶれない強さこそ天命を知ったものの証というべき。天命とは、心の中に確固とした大道をもつことで、不運にあっても愚痴や恨み言を言わず、そうした精神力を持った人が天命を知った人である。
・60歳では何を聞いても腹をたてることがなくなる。人が何を言おうとも、みな一理あると思えるようになる。これは自分の天命を理解しており、最大限に他者を尊重することができるからである。
・各年代のステップをへて、70歳では心のおもむくままに何をしても、度を過ごしたりすることがない状態である。
ちなみに、万象算命学では、だいたい50~60代に誰しも「精神的な葛藤と現実的な破壊が同時に起こる時期」が訪れるとされています。この時期までに、自分の宿命を消化し陰徳をつむ生き方ができていなければ、天から淘汰(不要な要素が排除)されるとも言われています。
孔子が言っているように、50歳にして天命を知った人は、この天から淘汰される時期を平穏無事に過ごすことができるのではないかと考えたりもしています。
なお、自分が50~60代に両親が他界する場合もあるそうで、それは自分の淘汰される運気を両親が引き受けて、天に持っていってくれた可能性もあるそうです。あくまでも万象算命学での思想になりますので、ご容赦ください。
人との関わり方
孔子曰く、益者三友(えきしゃさんゆう)、損者三友(そんしゃさんゆう)。直(なお)きを友とし、諒(まこと)を友とし、多聞(たぶん)を友とするは、益なり。便辟(べんぺき)を友とし、善柔(ぜんじゅう)を友とし、便佞(べんねい)を友とするは損なり。
【訳】
孔子は言われた。自分にとって益になる友人は3種類、損になる友人も3種類あると。正直な友、誠実な友、物知りの友、こういう友はいずれも有益な人たちである。いっぽう、調子よくこびる友、外面はよいが誠意がない友、口先ばかり達者な友、こういう人を友人にしても損をするだけだーと。
「ヤマアラシのジレンマ(矛盾)」という話があります。ヤマアラシの群れが、寒い冬を温かく過ごすにはどうすればいいか。当然、みんながぴったりと体を寄せながら暮らせばいいのですが、あまり寄りすぎると、お互いの鋭いトゲが体に刺さってしまいます。かといって、離れすぎると熱気が逃げてしまって寒い。試行錯誤をくりかえすうちに、いつしかバランスのとれた「ほどほどの距離」をみつけることができたというお話です。
どんな相手に対しても、つかず離れず、ほどほどの距離を保つことが良好な人間関係を保つポイントです。
どちらも、人との関わり方ですが、後者の「ほどほどの距離」って、けっこう難しいなと感じます。私は人見知りなので、どうしても相手との距離感が縮まるのに時間がかかります。
いつだったか、ある実業家の社長さんがテレビで、「目の前にいるこの人を、私は人としてすごく好きだと思って話すことがコミュニケーションがうまくいく秘訣」といったような事を話していて、それって大事かもと思いました。
初対面の人や、交流が少ない人との関わり方の参考になるなと思いながら、私としてのもうひとつの課題は、身近な人、特に息子に近づきすぎる傾向があるので、ほどほどの距離感を修行中です(笑)
天地創世の神話
最後に、中国に古来から伝わる天地創世の神話「盤古(ばんこ)」という神さまのお話を紹介します。
むかしむかし、宇宙が誕生したころ、天地は混沌(こんとん)として両者の区別がなく、まるで卵白のようにフワフワした存在であり、中は真っ暗だった。
やがてその中から、天地創造の神である『盤古』が生まれ、盤古が手にしていた斧を力いっぱい振るったところ、天と地がわかれはじめ、清いものは天空に、濁ったものは底に留まって大地となった。
しかし、天と地がまた1つの混沌に戻ってしまうのを恐れた盤古は、頭で天を支え、大地を足で踏みつけた。こうして天も地も、そして両者の間に生まれた盤古も日ごとに成長し、天と地は少しずつ、少しずつ離れていった。天は1日1丈(約3メートル)ずつ高くなり、地は1日1丈ずつ厚くなり、盤古は1日に1丈ずつ背が伸びていった。やがて長い長い月日が流れ、盤古の身長は9万里(約36万キロメートル)にもなった。天と地とも9万里、離れた。天と地が離れたことを確信した盤古が安心したとき、自らの命が燃え尽きつつあるのを悟った。
やがて盤古の左目は真っ赤な太陽に、右目は青白い月に、吐いた息は風に、声は雷に、髪は光輝く星になった……こうして天地が誕生した。
(論語力引用)
人間は、天という「理想の世界」と地という「現実の世界」との間に存在している。そして、人間は、現実の世界で起こるさまざまな困難や苦労をのりこえ、理想と現実との間で調和を保ちながら、少しずつ、少しずつ、自分の理想を実現していくべきだと孔子は説いています。(論語力引用)
人間は、天と地の間にいるのに、地上(現実)の方が近くて毎日の生活に追われ、空(天・理想)を見ることが少なくなりがちです。
論語力の中で著者は、「自分がいまやろうとしている(考えている)ことは、人の和という理念にかなっているだろうか、天の時(使命)や地の利(現状)からみて正しいだろうかを常に意識してみることが大事」と言っています。孔子や孟子も、人間が人の和を大事にして行動すれば、宇宙の「気」はよい方向に動き、人は、天や地と「融合」するこができる、さらに人間は天や地が放つ壮大な「気」を常に全身で感じとることができ、無限の力を発揮するこができると考えたそうです。
私が万象算命学や東洋思想を学ぶのは、この使命を知るためでもあります。私というひとりの人間が、この世の中に、人のために役にたつことはなんだろう?50代も見据えて、今後も学び、日常に生かし、成長していきたいです。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
・論語力(干丹ユーダン著)
・中国古典の名著50冊が1冊でざっと学べる(寺師貴憲著)